アヤメ科

ハナショウブ

「ハナショウブ」・・・「浮世絵の美人」(喜多川歌麿の世界と共通?)

 6月、水辺を飾るのは「ハナショウブ」。40年ほど前、明治神宮のハナショウブ園を訪れた。当時、想像もできない無数のハナショウブが蒐集された大規模な群落に強烈な印象を受けた。花色、花形の豊富さ、清楚な姿は「凛とした和服の日本女性」と重なるのでは・・・。

40年ほど前、梅雨時に広島県-島根県境に近い芸北町を走っていると、水辺近くに点在する1mにも届きそうな濃い紫色のショウブの花に出会った。 ・・・これが「ノハナショウブ」・・・

この1種の「ノハナショウブ」が元祖となって現在の豊富な品種を揃える「ハナショウブ」のすべてがつくられていたとは知ってはいたが、肝心の「ノハナショウブ」に会えたのはこの時が最初であった。

「アサガオ」、「オモト」、「鳥」等々・・・動・植物の変異種を競って楽しんだのが平和な江戸時代である。「ノハナショウブ」からも連想される「浮世絵」はやはり江戸時代の日本の傑作なのだろう!!

 時は江戸時代後期。日本中至る所で見られた「ノハナショウブ」の中に、時に色の薄いものなどの変異種があった。江戸に住む「松平左金吾という人が、この変異種を持ち帰り、品種改良を試み、苦労の末多くの品種を作出した。江戸東部の葛西領堀切村の百姓によって大がかりに栽培されたという。今にある堀切菖蒲園はその名残だそうである。

肥後の領主「細川・・・」が数株を江戸からもらい受け、武士を彷彿させるどっしりとした姿の、肥後独特の「大輪花」(肥後系)を作出した。また、伊勢は「ちりめん」(伊勢系)をもって受けついだ。もちろん江戸はすっきりと脊高く「粋な姿」(江戸系)を残した。

 

現在、3つの系統があるが、まさに日本が作った日本の花と言えるのではないかと思う。


アカバナ科

マツヨイグサ属

薄明かりに何処か淋しげな風情で咲くマツヨイグサのイメージは正に憂いをおびた夢二の「美人画」に連想される。

さて、「月見草」という花もある。一般に月見草とマツヨイグサは同じものと思われている。箏曲に「月見草」という曲がある。歌詞は「ぱっちんぱっちん花咲いた、月見草の花が咲いた・・・」と誠に単純である。しかし、単調でゆったりとした筝のメロディーで歌われるこの素朴な歌詞は、悠久の流れに身を任せた「明るい心情」、スローライフの余裕が感じられる。「月見」という言葉も「月を眺めて観賞する」こととするとなおさらである。

今回の題材は「マツヨイグサ」。古くから「宵待草」またの名を「月見草」として親しまれているが,本名は「マツヨイグサ」と実に複雑な名前の花である。

日も沈み、やっと涼しくなった8月の夕べ、せせらぎ河川公園~太田川の河川敷を歩くと黄色い花が目に付く。ぽつんぽつんとマツヨイグサ、最近少なくなってきたが、群落を作っていたアレチマツヨイグサそして地面に這いつくばってひっそりかつ強くコマツヨイグサ達が薄明かりの中に咲いている。マツヨイグサは愁いを帯びひっそりと、アレチマツヨイグサは騒然とした感がある。「スズメガ」が花粉を頭につけてせわしくぶんぶん飛び交う。

他に軸等に赤みを帯びるオオマツヨイグサがある。ド・フリースがマツヨイグサの群落の中にひときわ大きく変異したオオマツヨイグサを見つけ、遺伝学の中に突然変異という考えを導入したことで有名であり、生物進化学の発展に大いに貢献した花である。そして、最近とみに繁殖の域を広げるユウゲショウが目に付く。かわいい花である。

このようにマツヨイグサの中には「コマツヨイグサ」、「マツヨイグサ」、「オオマツヨイグサ」、「アレチマツヨイグサ」そして「ユウゲショウ」等がある。マツヨイグサは宵を待って開花し、夜明けと共に花は赤みを帯びしぼんでいく。

また、最近は花壇に植えられているピンク系の昼咲きマツヨイグサというものもよく目にする。

マツヨイグサの花粉を顕微鏡で観察すると、花粉は極端な三角形をしており、周りに昆虫の体等にくっつき易い白い粘性のひも状付着物がある。花粉の内部には大量のデンプン顆粒が蓄えられているが、花粉の発芽期に分解されてエネルギーとなる。

マツヨイグサの根には「葡萄酒のような香気があり、野獣が好んで食べる」とも言われている。マツヨイグサの学名は Oenothera striata というが、この名前の由来は、 

属名が「酒」(oinos)と「野獣」(ther)  

を語源としているというから、黄みを帯びた太い根っこを掘って香を・・!!

 

マツヨイグサ、コマツヨイグサは一見して区別がつく 

アカバナ科 マツヨイグサ属

1 マツヨイグサOenothera striata

チリ原産で、日本には1851年(嘉永4年)頃観賞花として渡来した。

花は夕方開き、太陽が出るとしぼみ黄赤色に変色する。

 海辺や河原で普通に見られる。花茎を伸ばしながら徐々に開花するため、花期は7月から10月の長期に渡る。

 

2 コマツヨイグサO. laciniata Hill

  北アメリカ原産で、乾いた砂地にやや斜上はするが、匍匐して生育する越年草である。

 

3 オオマツヨイグサO. erithrosepala Borbas

     南アメリカ原産で、日本には明治初年に渡来した。 

  茎は2mに及び、基部に赤い剛毛がある。茎は赤みを帯び、花も赤みがある。


ヒガンバナ属

9月の声を聞くと人里を赤く染める「ヒガンバナ」。この時期広島では吉舎町の群落が紹介されるが、広島の田園地帯至る所に群落が見られる。土師ダム周辺の彼岸花もすばらしい。さらに近くの安佐大橋河川敷も大きな群落となっている。太田川上流河川敷等の球根が増水で流され、一大集落をなしたのかも知れない。この花は実をつけず球根で増える故に人為的あるいは自然の手助けのみで球根が移動して生育域を拡散する。沖縄から北海道に分布するというがもとよりの自生ではない。有史以前に中国から渡ってきたという。

9月早々、葉に先立って花茎が伸び、真っ赤な花を咲かせる。花が終わると新緑の葉が伸びる。花は自分の葉を見たことはなく、葉も自分の花を見たことがない。したがって、「葉見ず、花見ず」との名もある。秋の彼岸の時期に花が咲くことから「ヒガンバナ」というが、シビトバナ、テンガイバナ、ユウレイバナ等々地方名は数百におよぶという。曼珠沙華(マンジュシャゲ)もまた一般化した名前だ。法華経の「摩訶、曼陀羅華、曼珠沙華」からでた名で、サンスクリット語で「摩訶」(マカ)とは大きいと言う意味のようだ。「曼陀羅華」(マンダラゲ)はチョウセンアサガオ、そして曼珠沙華が「ヒガンバナ」の名前となっている。真っ赤な花にしては全般に名前は暗く、印象もよくない。

 全草にアルカロイドを含み、食べると死に至る場合もあるという。昔、「山羊、ウサギに食べさせると死ぬ」、戦後の食料難時「球根を食べて死んだ人がいる」などと伝わり、子供心に忌み嫌う花として浸透していた。

ではなぜこの花を日本に持ち込んだのか?

1 花が美しく観賞用 

作今この花を眺めていると、反り返った雄蘂に花びら。美しさを認識。

2 救荒植物 

救荒植物で、球根をすり下ろし水に浮遊させると、毒成分は水に溶け、デンプンは沈殿する。上清(上澄み液)を捨て、デンプンを食用とする。

3 その他宗教的な意味合い

球根をつぶし糊とし、経典に使用すれば、虫がつかない?(子供の頃球根の上3分の1を切り落とし、竹でつつくとねばい糊ができたが・・・はたして)

4 シキミと同じように、墓地周辺に植えると、土葬された死体を野獣に喰われない。

等が考えられる。

  ヒガンバナは赤い花というのが通説であるが、広島の三次丘陵公園に植えられているヒガンバナ(リコリス)に白いもの、黄色いものがあるのをみてびっくりしたことがある。それは「外国産」とのことであった。しかし、近年、太田川で「白いヒガンバナが発見された」とのテレビ報道があった。白いヒガンバナは九州と済州島に自生していると目にしたことがある。白に若干黄あるいは紅の条があるという。ショウキズイセンとヒガンバナの雑種との説もある。

ショウキズイセンは結実するが、ヒガンバナは結実しない。ヒガンバナは3倍体で栄養繁殖をする植物であるそしてショウキズイセンは結実するがヒガンバナは結実しない雑種のできるメカニズムに疑問が生じる。ところが、中国には2倍体のヒガンバナがあるらしい。九州、済州島の場所から考えると、白いヒガンバナはショウキズイセンと(もしかして)中国にあるという2倍体のヒガンバナとの交配種かもしれないとの推測ができる。また、栄養繁殖とは言え、色素生成過程上の突然変異(枝変わりのような)で色素を失うこともあり得るとも思う。その場合、形態は同じなのかあるいは酵素による形態変異も起こり得るのか問題もある。加えて、本来の日本のヒガンバナがどの過程で3倍体となったのか等々考えさせられる。日本にも稔生のある倍数体ヒガンバナがあるのか?・・・・・ヒガンバナの種子から「親株は毎年とはいわないでも時折種子をつけると聞いたことがある。(2倍体等なのか)」「種子は発芽するのか」「(もしかして)日本にも稔生のヒガンバナがあるのか」「中国にあるというヒガンバナなのか」・・・・

05年9月、伊豆を訪問した。松崎町を流れる那賀川沿いを川下に歩いていると、対岸(左岸)に赤そして白の彼岸花が咲いていた。数戸のプランターにも白いヒガンバナが植えられていた。さらに川下にも白花が点在していたが、上流方向峠を越して下田市に至るも白いものは見られなかった(バス内からの観察による)。

白いヒガンバナに興味が湧く。

ヒガンバナには全草に毒性のアルカロイド「リコリン」を含む。(リコリンは催吐性があり、死に至るとは・・・?)

鱗茎を石蒜(セキサン)と呼び、すり下ろしたものを肩こり治療に使われていたようである。

 

「赤」が人に燃えるような情熱、焼け付くような気もちを抱かせるのは今も昔も同じようで、広島カープの「赤」もその一つと考える

万葉集に

「路のべの 壱師(イチシ)の花の灼然(イロジロ)

 人皆知りぬ 我が恋妻は」112480

(壱師の花:ヒガンバナ)  

とある。

 

ヒガンバナの学名は

Lycoris  radiate

である。

属名はリコリス

種小名はラジアータ

 

リコリスは花の美しさをギリシャ神話の海の女神「リコリス」にたとえたもの

  ラジアータは「放射状」の意

 

 


キク科

キクイモ(Helianthus tuberosus)

キク科ヒマワリ属キクイモ

全国各地の荒れ地、空き地にも生息する。高さ2.5~3m、幹の直径は3cmにもなる草本植物ある。葉は20~30cmの卵形(披針形)~楕円形であるが、葉先は尖り、基部はくさび形となって葉柄につながる。葉は、茎の下部では対生し、上部では互生である。茎葉には粗毛がある。また、葉の基部から先に掛けて1対の側脈が走る。

花期は8~11月で黄色の頭花は径5~10cm、葯は黄~褐色である。根は横に走り、秋には根の先にショウガあるいはサトイモに似た塊茎がつく。イモがあるからダリアと思いきや、ヒマワリの仲間である。

塊茎には糖分(デンプンではなく、イヌリン)を多く含み、若干甘い。全国各地の荒れ地(特に北海道でよく見られるという)で見られる植物ではあるが、原産地は北アメリカ中部で、1870年頃イギリス総領事 R . Alcockによって「農作物」として持ち込まれたことが「農業雑誌9号」(津田 仙 1876)にある。

農作物とは、食用あるいは飼料用であるが、目的は茎、花ではなく塊茎である。

救荒作物として重要な作物とあり、第二次大戦時食用として栽培されたようである。しかし今ではほとんどの場合花壇も飾るが、花壇から逃げ出し野生化して野原を飾っていることが多い。どうも作物としての魅力はなかったようにも思われる。

 

「山菜」の本を参考にすると

「上部が枯れたころ株を引き抜くと塊茎が多数ある。塊茎を天ぷら、味噌漬けにするとおいしい。また、塊茎を輪切りにして酢水に浸けてあくを抜き、サラダにしてもおいしい」とある。塊茎の成分は甘味のある糖質のイヌリンである。おいしいのであれば、農作物として見捨てられ野生に帰ることはないのでは?何か欠点があるのでは・・・・。

栄養学的に考えるとデンプンは無数のグルコースがつながったものであり、コンニャクの成分は糖質のマンナンでガラクトースという糖が2つながったものが主成分である。また、砂糖はグルコースとフラクトースからなる糖であり、イヌリンは砂糖によく似た構造の、グルコースとフラクトースでできたオリゴ糖で、フラクトースの数が多い。フラクトースが多いばかりに砂糖ほど甘くはない。加えて、残念にも、人にはマンナン同様イヌリンを消化する消化酵素がない。人はイヌリンを分解し栄養分として利用することはできない。それを考えると、キクイモは救荒植物としての働きをすることのできない代物であったと思われる。腹いっぱいに食べても太ることもないあまり意味がない作物だったのである・・・飽食の時代の昨今、コンニャクと同様、キクイモは整腸効果、ダイエット食品としては期待できるとは思うが・・・。

 食べ物を反芻するウシ、ヒツジ等の草食動物にある第一番目の胃(ルーメン)は醗酵室の働きをしている。無数の微生物を飼育しており、同じ糖質でできた草等の材料が入ると、微生物等がこれを分解し、微生物自身もまた増殖する。草等はウシ、ヒツジが利用できる栄養分に分解あるいは変換され、微生物もまたタンパク質、ビタミン等の栄養分となって草食動物を支えることになる。草食動物にとって彼らの第一胃は自分の食料製造工場なのである。そうすれば、糖分が濃縮されているキクイモは飼料としては多いに意味がある。しかし、サツマイモに比較すると、ひいき目に見ても(人の立場で判断すると)花の美しさ以外はやはりサツマイモに軍配が上がると思うが・・・。

 

蛇足

キクイモがおいしい食物に変わるのなら、ダイエット食品にぴったしです。1度試してみる価値があるのでは・・・

筆者も畑の隅にキクイモを植えてみたいとせせらぎ公園の1本(すでに上部は刈り取られていた)の株を引っ張ると、塊根が数個でてきた。その1(他はその場に埋めた)を無断で頂戴し持ち帰った。

目的は花の観賞ではない、試食としての栽培用なのだが・・・!!!!

 デンプン :  -「gluglugluglu

 砂 糖  :    gluflc

イヌリン :    glu-「 flc 」flc   nが0であれば砂糖

マンナン :    glagla          コンニャク等に含まれる

lu : グルコース、          flc : フラクトース

la : ガラクトース 

ちなみにイヌリンは同じキク科の「ゴボウ」にも含まれているており、同じ香りが楽しめる。

 

追加

 後年、できたキクイモを酒粕に漬けてみた。食しておいしいすばらしい粕漬け(奈良漬け)ができた。歯触りよく「いける!!!」だ。 

アキノキリンソウ属 Solidago L

 

 セイタカアワダチソウ Solidago altissima L 北アメリカ原産

 秋になると、セイタカアワダチソウが波打つ。セイタカアワダチソウは、花粉アレルギー原因の代表として扱われた時期があった。しかし、セイタカアワダチソウはスギ、イネ、イタリアンライグラス(牧草)、チモシー(牧草)等が風媒花(風の力で無数の花粉を飛散させ、受粉させる)であるのに反し、アワダチソウは虫媒花(虫の力を借りて受粉する・・・ミツバチの蜜源にもなっている)である。つまり、無数の花粉を遠くまで飛散させる仕組みになっていないから、主たるアレルギー原因ではないのではないかとの指摘もある。花粉のタンパク質も抗原性は弱いとの結果が出ている。花粉の形はウニのように表面に刺があり、テレビのコマーシャルに見るエヘンムシに似ていて、いかにものどにかかりそうな形態をしているが・・・。

一般に、この種の黄色い花は、セイタカアワダチソウと呼ばれているケースが多いと思われるが、よく見ると少し形態を異にするものがある。これらの違いを植物図鑑で確かめると、セイタカアワダチソウに加え、オオアワダチソウ、カナダアキノキリンソウと数種類の花がある。

セイタカアワダチソウは、茎など紫褐色で短毛が密生、葉は線状長楕円形両面共に短毛が密生している。原色植物図鑑(保育社)には、次のように違いを示している。 

A 葉は比較的薄く、光沢はない。

B 花序は円錐形

C 開花は8月以降 夏~晩秋

D 茎、葉に固い短毛が多くざらつく      セイタカアワダチソウ S. altissima L

・ 紫褐色で短毛が目立つ。葉は線状長楕円形で両面に短毛がありざらつく

D 茎、葉は無毛でざらつかない

E 頭花は径2~3mm            カナダアキノキリンソウ S.canadensis L

・ 淡緑色、葉は線状の長蛇円形で両面に短毛はない

E 頭花は径6~7mm            オオアワダチソウ  S.gigantea

・ 葉の両端は尖り、上半分に鋸歯が明瞭、茎葉は無毛

C 開花期は6~8月の初夏           ハヤザキアワダチソウ

B 花序は散形花序で、円錐形にならない      イトバアワダチソウ

 

A 葉は厚く光沢があり、根生葉は常緑        トキワアワダチソウ 

 

セイタカアワダチソウ 

野山が紅葉に染まる少し前から日本中の荒れ地、河川敷を円錐形の花序の波が風にそよぎ、黄色く染める。北アメリカからやってきた、招かれざる(?)「(セイタカ)アワダチソウ」(アキノキリンソウ属)の郡落である。なぜ「泡立ち草」なのか?この花がタンポポなどと同じキク科で、種子が熟すと、種子に茶を帯びた白い冠毛(パラシュート)が開き、大群が泡立つように風に舞い上がるからであろうか?

もとは観賞用に持ち帰ったこの花、自然の中(大坂淀川縁り)に逃げ出したのが明治時代という。特に、ここ40年で日本中に蔓延した感じである。農地が荒れ、茅などの雑草が茂ると「我が意を得たり」とばかり猛威をふるう。

「しまなみ海道」が開通する前、これら「アワダチソウ」を瀬戸の島では見たことのなかった。しかし、20年ほど前、街道沿いにちらちらと花を咲かせた。「あれー」と思ってから数年後、島の奥深くまで入り込んでいる。島嶼部ついに征服される?

なぜこのように強いのか?これには大きな秘密がある。無数の種は風に乗ってあたり一面にばらまかれ、あるいは、トラックなどの荷台に載って遠くまで運ばれ根を下ろす。一端根を下ろすと四方八方に勢いよく根を伸ばしながら新芽を出す(栄養生殖)。しかも根からは他の植物を枯らす物質一般にアレロパシーというを出して自分の進む道をあける。まるで装甲車に先導された進撃である。アワダチソウ軍の空軍、陸軍の総攻撃の様相である。